ウィリアム・クラインWilliam Klein、1950年代、写真は絵画ではできない表現手法ができるのが面白かったと、19世紀末期の写真は芸術たりえないとしたエマーソンとは逆の見解を示した

19世紀末期、写真を絵画のように、創作の手段とするピクトリアリズム(絵画主義 Composite Photography合成写真を含む)には否定的ながら、亜流ともいえる自然主義写真を提唱した(アマチュア写真クラブの会長になるなど、一般向けの触媒や会合で露出が多かった彼が目立つだけで、実際はそれ以前から多くの写真家が専門誌で述べていたことと同じ)、イギリスのエマーソンは、当時使えるいろいろな現像や、プリント方式を試した挙句、直後に

「葛飾北斎の作品を見てわかるよう、芸術とは、自然に忠実なところにあるわけではない。写真は記録性にたけており、その記録性を生かした科学記録に用いられるもので、忠実性が足かせとなる写真には、芸術性があるとしても、まぐれでできるくらいのことでしかなく、芸術を創作する手段としては、写真は最下位のものとして扱うしかない」

と、それ以前から言われていたことを改めて確認する発言を行い

しばらくは写真集の製作を続けましたが、20世紀には写真を仕事としてはやめます


1890年Peter Henry Emersonが出版した、写真の芸術作品としての限界を認めた「The Death of Naturalistic Photography 自然主義写真の死」写真は芸術かの議論の歴史

写真は芸術ではないと、断言した19世紀エマソン(エマーソン):昭和低学力世代の面白写真論を斬る:風景写真表現の歴史


上の二つの記事で、エマーソンは1990年代前後の、まだ写真を使っての表現手法が限られていた時代に、彼の「もともと写真は記録に徹するべきである」という19世紀の写真界で支配的だったカルト思想(21世紀にも、風景写真で、19世紀初めのカルト思想が正しいと騒いでいる職業写真家はたくさんいますがw)に染まっていた人の話なので、現在のわれわれが、全部真に受ける必要はないと書きました

そもそも、実際の人間の反応を見ながら、表現を発達させてきた

画家たちは、

記録じゃ~隅々までシャープさが~ブレはいかんぞ~

とか、プロ写真家が騒いでいるのを、奇異な目で見ていたのが、フランス19世紀ロマン主義の画家ドラクロアの「実際の世界にないシャープさを追求している偽物の記録が写真だ」など、多数いたわけです

フランスのブレッソンは写真で有名になりましたが、もともとは画家志向で、フランスのパリでは、写真を絵画のような創作手段に使うピクトリアリズムの人たちが集う店などに出入りして、影響を受けていたり、

のちに、ブレ、アレ、ボケを写真の表現として確立した

アメリカのウィリアム・クラインWilliam Klein

William Klein, Godfather Of Street Photography

は、

そもそも写真の勉強なんかまったくしていなかった、絵のほうを勉強していた人でした

彼は正式な写真の勉強をせず、アシスタント経験もフランスの画家、Fernand Légerのもとでいただけ

Fernand Léger, les couleurs de la vie – Culture Prime

絵画の世界で学んだことを、1950年ごろから、写真に持ち込みます ブレ、アレ、ボケは、20世紀の絵画の世界では、もはや当然の手法であり、クラインは、そうした表現手法を否定している写真界を、多くの画家や芸術家たちと同じように見ていたらしいのは、以下の発言でわかります

William Klein Photographer / filmmaker

https://artpil.com/william-klein/

“I came from the outside, the rules of photography didn’t interest me… there were things you could do with a camera that you couldn’t do with any other medium… grain, contrast, blur, cock-eyed framing, eliminating or exaggerating grey tones and so on. I thought it would be good to show what’s possible, to say that this is as valid of a way of using the camera as conventional approaches.”(上記より引用)「私は【写真の専門】外から来たので、写真のルールには興味がありませんでした…他の媒体ではできないこともカメラではできましたし…粒状、コントラスト、ブラー【ブレ、ボケ】、コックアイフレーミング、削除、またはグレートーンを誇張するなど。何が可能なのかを示し、これが従来の【写真界で正しいとされてきた】アプローチと同様に、カメラの使い方として有効であることを示すことができれば良いのではないかと思いました。」

と、19世紀から写真のプロ協会から敵視されていた、ブレアボケアレは、写真ではなく、絵画を習ってきたクラインには、否定するべき要素ではなく、写真の表現手法を広げる肯定的なものとしか見えなかったと述べています。

また、1950年ごろから写真を始めてみたクラインは、手書きの絵画ではできない表現ができる世界だと、1990年ごろに、写真では絵画のようなことができる余地が少ないとしたエマーソンとは、まったく異なる見解を持つにいたるようになっていました。まあ、クラインの時代には、現像とかが猛烈に簡単になり、手法や技術が、エマーソンの時代とは比較にならないほど、多く開発されてきたこともあるでしょう

まあ、プロ写真協会が、ボケブレアレを敵視していただけで(とはいっても、会員から締め出すということはなかったし、合成写真で有名だった英国のOscar Gustave Rejlanderは、スコットランド写真家協会などの公式出版物では、合成は異端と、コケおろしにされていましたが、会員同士の懇談会・晩さん会などでは、厚遇されていたという、裏と表の事情が違ってたりしていたのが当時の写真界)、

クラインのはるか前にも、絵画手法Flouを写真に取り入れて、プロの写真家以外の一般人や、ほかのジャンルの美術家たちに支援され、裕福に写真で暮らしていたのは19世紀にも珍しくなかったのですが、

クラインは、とうとうプロ写真家団体にも、ボケブレアレは写真の表現として正当であると認めさせた功績があります

ただし、一般的には高い評価を得ますが、特にアメリカの写真業界は、しばらくクラインを徹底的に無視するという、19世紀のフランスや英国でよくあったことがアメリカでも繰り返されていました。すなわち写真の技術的にはアウトの手法を表現に使うのは邪道という、1830年ごろに写真が普及しだしてからのカルト文化。

New Yorkの写真集を出版した後、かつて世界で一番、写真=記録主義がはびこって保守的だったフランスの写真家新人賞を得るなど、各国でそれなりに騒がれるくらいの成功を収めたにもかかわらず、当時のアメリカの写真業界は、19世紀のイギリスやフランスの職業写真協会と同じく、クラインを無視したんですw今ではファッション誌として著名な、Vogue(当時はファッション雑誌というより、もっとシュールな文化雑誌の扱いが強かった)の専属カメラマンというステータスもあったのにw

ただ、公式には無視しているにもかかわらず、当時のアメリカの職業写真家たちは、クラインの本はなぜか持っているのが普通だったといわれます

19世紀、1860年ごろ、写真家協会以外では、美術家たちから高く評価されていた、英国人のJulia Margaret Cameronと同じように、1950年代から1960年代、Vogueのディレクターに才能を見出され専属カメラマンに抜擢され、さらにNew Yorkとローマ、東京の写真で、各国でそれな色の評価を得たにもかかわらず、

彼の暮らしているアメリカの写真業界のお偉いさんたちから、彼は徹底的に無視されていて、特にアカデミーの連中からは徹底的に嫌われ、

写真クラブに招待されたとき、クラインは、そんなひどい写真を本にして有名になれるのはどういうことだと、当時の写真界のはやりだった、ワンパターンの「上品な老婦人の写真」を必ず持った人たちから質問を出され、何のために招待されたのかさっぱりわからなかったといっています


彼はNew Yorkの写真集を撮る始めるため、ストリートスナップに向いた35mm(現在のフルサイズ)カメラを探しにストックフォトのマグナムに行って、誰かが中古機材売り出してないかと調べると、フランスのブレッソンが、機材入れ替えで古いカメラを売りたがっていたので、彼はブレッソンから35mmカメラを買ったそうです(Livingstone 1992)*買ったのではなく借りたという人もいますが、当ブログ記事ではどっちが正しいかは確認せず

New Yorkの写真集は28mm, 50mm, 135mmで撮影し、28mmが一番のお気に入りだったそうです

The New York School: Photographs, 1936-1963 Hardcover – September 1, 1992

by Jane Livingston (Author)

‎ Stewart Tabori & Chang; First Edition (September 1, 1992)

クラインが、Vogueで公表したファッション雑誌、わざわざモロッコまで出かけてロケ

【追悼】 ファッションを超えて時代をとらえた写真家ウィリアム・クライン。

LAIRD BORRELLI-PERSSON 2022年9月30日

https://www.vogue.co.jp/lifestyle/article/vogue-heritage-william-klein


写真の発明後、長く敵視されていた、ボケやブレ、ソフトフォーカスを使った表現【美術の歴史とボケの歴史】クラインに先駆け、ボケ、ブレを写真表現に取り入れたプロ写真家たち

感性の赴くままに写真を撮影することも、あるいは正解の場合もある:ウィリアム・クラインWilliam Klein ブレ・ボケ・アレを写真表現として確立したアメリカの写真家

28mm[フルサイズ]を「標準」レンズとしたストリート写真家、アメリカのウィリアム・クライン(William Klein)【広角ポートレート28mmの特性】

50mm標準レンズでは写真が撮れなかったから、28mmレンズを手に入れたときが僕の写真が始まったんだ【William Kleinウィリアム・クライン】

モデルからピントが外れたポートレート写真はありなの?ピンボケ写真の是非【1950年代、ファッション誌Vogueの写真界への挑戦】

森山大道、写真はアートであってはならないという発言の本音:写真はアート手法の一つとしたウィリアム・クラインと共同展覧会を開いている事実


WordPress.com で次のようなサイトをデザイン
始めてみよう