合成モンタージュ写真と写真のピクトリアリズム絵画主義

複数の写真から必要な要素を切り出して、一枚の写真に仕上げる技術は、1830年代の実用的写真技術がダゲレオタイプとして登場してから、しばらくしたころには登場したします

合成の都合上、ネガとなり複製プリントが容易な、湿板のほうがはるかに楽なので、写真湿板が登場した1851年ごろからモンタージュとか合成写真が普及したと考えていいのかも

まあ、分割して撮影した人物を好みの背景に張り合わせる以下参照

https://www.pinterest.jp/pin/515873332311976500/

それぞれの部品写真を、背景と全体になじむように調整して一枚の写真をしたてる。何人も入れる、大きな写真スタジオがない場合でも多人数の合成ができる、好みの背景をあと合成できる、など、特に絵画風の写真を製作できないかとした人たちにはやり、

このことから合成写真(Montage Photography, Composite Photogtraphy)は、ピクトリアリズム(絵画手法)の一つとされます

“Fading Away”, by Henry Peach Robinsonヘンリー・ピーチ・ロビンソン, 1858 著作権切れ

Henry Peach Robinsonは、Pictorial Effect in Photography(1869)を出版し、イギリスでは反響を受けました

現在は著作権切れなので、ネットなどで無償で読めます(ただ現在はデジタル画像となって、合成のやり方もパソコンで行い3DCGとの合成も普通で、やり方が根本から変化してるので、暇がないならあえて読む必要はない)

Pictorial effect in photography : being hints on composition and chiaroscuro for photographers, to which is added a chapter on combination printing

by Robinson, H. P. (Henry Peach), 1830-1901

https://archive.org/details/pictorialeffecti00robi

このほかの写真家の作品

The Two Ways of Life 人生の二つの道 (1858) by Oscar Gustave Rejlander

まあ、これも写真は記録であるという、19世紀からいる写真のプロ協会を中心とした、原理主義者には攻撃を受けることもありましたが、英国女王や、写真家以外の美術家たちの協力で、有名写真家として活動していました。

まあ、日本の浮世絵とかも、日本では下種な大衆娯楽(特に歌舞伎役者は江戸中期まで正式にはエタなど最下層の身分とされていた(ただしエタ非民扱いの身分は、特に、東日本では、経済的に裕福で、自治権まで持ち、町民などに金貸しで、普通の町民より偉そうにしていたなど、地域によってかなり生活や扱いに差があった))のが、西洋の画家たちが一斉に注目しだすと(人間の感情や夢や、印象記憶を、絵画の表現にしようとした印象派などには、ディフォルメの仕方で日本の浮世絵版画が参考になったこともあるのは、まあ当然)、

いきなり日本でも浮世絵が大芸術に祭り上げられた歴史もあるので、専門家クラブの評価というものを絶対視する必要はないんですが

[コラージュとフォトモンタージュ─写真黎明期のフォトモンタージュから日本の写真におけるコラージュの受容まで]
藤村里美(東京都写真美術館 学芸員)

https://topmuseum.jp/contents/images/info/journal/kiyou_06/06.pdf


ボケの歴史:写真と絵画の相互影響、印象派の作品と初期写真レンズの渦巻きボケ表現

1890年Peter Henry Emersonが出版した、写真の芸術作品としての限界を認めた「The Death of Naturalistic Photography 自然主義写真の死」写真は芸術かの議論の歴史


WordPress.com で次のようなサイトをデザイン
始めてみよう